先天性進行性筋ジストロフィー福山型と診断されてからの1年
実幸が一歳の誕生日を迎えた頃 先天性進行性筋ジストロフィー症福山型という病気だと診断されました。その時、「関節の拘縮があり、歩行は無理だ。またてんかん性のけいれん発作もあり20歳までの命でしょう。でも、この状態なら、3歳乗り越えることができるかな。言葉はでても単語ぐらいでしょう」と医大の教授より言われ、頭の中が真っ白になりました。その時はどのような会話したのかどのように帰ってきたのか思い出せません。 病院の先生や町の行政の方から、施設にいれることをすすめられました。私たち家族は 施設に入れることで病気が良くなったり進行が止まるなら入れようと考えましたが、施設に入院させても進行するのなら病気と上手く付き合いながら育てていこうと決めました。私たちが生後6ヶ月頃実幸の異常に気づいてから、市内の病院5軒、そして医大での診断でした。医大では病気の原因を探すための検査と臨床実験のための実幸の筋肉の一部を切り取り、標本を作りました。また膝の裏の腱を伸ばす手術をしたいと言われました。麻酔ができず押さえつけて筋検をした時のまみの泣き声が頭から離れず 手術はためらいました。 だから他の病院を紹介してもらうことにしました。別府整肢園を紹介してもらったのですが「ここには筋ジストロフィーの子どもはいないので西別府病院の方へ行った方がよい」と言われて途方にくれました。 病院の帰り道、子ども2人と、カーブを曲がらずにまっすぐ突っ走りたい気持ちでした。でも、「まみ」と呼ぶとこっちを向いてくれるし、兄の聖駒(せいま)は、実幸の横で私の顔見ながら、しっかり抱き抱えるように実幸をつかまえてくれていました。それなのに…。私の心の乱れが家族みんなに影響して、家庭の中がうまくいかない時もありました。 そんなある日、新聞に「私の妹は筋ジストロフィーで整肢園へ行っています」こう書かれた記事を見つけました。その方はすぐ近くにいたのです。天瀬町の方でした。実幸と聖駒を連れて尋ねていきました。その方の家族の方はみんなとても素晴らしい人でした。私を力づけてくれました。「神様は、あなたたちがどんなことにもまけずに生きて行ける力を持っているから、選んでくれたのよ!」「もっとゆとりを持って」と優しく励ましてくれました。その言葉で、私の心の中が少しすっとしました。 その方にも整肢園の先生を紹介してもらいリハビリを始めてもらえるようになりました。
大分医科大に週一回、そして別府の整肢園での訓練に週2回、通院を始めました。初めは泣いて行くばかりで、医大や別府に行く道も遠くてこれからどうしていいのかわかりませんでした。でも訓練の時に出会えた方々により、私の心に少しずつゆとりができはじめ、二時間かけての通院も由布の景色が素晴らしいと思えるようになりました。今は高速道路も整備され二時間もかからなくなっています。
私が心の底から尊敬するまみたんのお母さん、ここに来るまで、私なんかが想像もつかない事がはかりしれないくらい、あった事と思いますまみたん、まみたんママに出会えた事は、私の最高の宝物です\(^o^)/ありがとうございます