小学校入学まで
実幸は身体に不自由ですが、聖駒と同じようにお手伝いさせたり、怒ったりもし、聖駒の友達ともあそんだりもしています。実幸も「健常」児と同じように平等であり、自分の地域社会の中で生活できる権利を持っていると思いました。聖駒が大山小学校に入学し、生き生きと学校生活を楽しんでいる様子見るにつけ妹の実幸も同じ小学校に入学できるといいなとの思いが強くなりました。そして幼い聖駒も、実幸の車椅子を押しながら、「僕、実幸が一年生になったら、車椅子押していくね」と言ってくれた時は本当に嬉しくて、熱いものがこみあげてきました。 そして、小学校の先生方と保護者の話し合いの場である「ミニ懇談会」の時、「自分の子どもは歩くことがず筋肉の病気です。地域の保育所には受け入れてもらえなかったけれど、大山小学校に受け入れてもらいたい」と話しました。そのことで先生方も「大山町に『障がい』を持った子どもがいるんだ」ということに気づいてくれました。
お手伝いでは聖駒と一緒にお茶わん洗ったり、お米だしです。五合のお米を出す時、3合と2合、1合を5回、2合を2回と1合、3合と1合2回などと組み合わせを毎日かえて出してくれました。 お手伝いをしてくれるのはありがたいですが、とても時間がかかりました。台所に3人で並んで後片付けやお米洗いの思いでも宝物です。
わが子を自分の地域の学校へ通わせたい 『大山町あゆみの会』発足1991年3月に、「わが子を自分の地域の学校へ通わせたい」という親の願いに地域の人々や学校の先生方の共感もいただいて、「力を合わせて子どもたちの成長を見守っていこう。ひとりではどうしょうもないことでも、みんなで力を合わせれば少しでも社会参加できるようになるのではないか」とのおもいから、小さな組織ですが「父母の会」(後に大山町あゆみの会)を発足させました。発足メンバーは私たち「障がい」を持つ子どもの保護者、子どもの同級生の母親、直接かかわりのある大山小、大山中の先生などでしたが、町内外の「障がい」児の父母と年々輪も広がり、35名いました。 「大山町あゆみの会」の訴えにたくさんの方々の理解を、いただき、k.kさんの整肢園から大山中への編入、A.Y君の日田養護学校から大山小への編入ができました。その時町内の全小中学校に洋式のトイレ設備ができました。その後1993年4月、実幸も大山小学校に入学できました。その時、車椅子用スロープもできていたので、私は感謝の気持ちでいっぱいでした。1996年4月 車椅子での生活しているT.T君が鎌手小から大山中へと進むこたができました。