保育園に通い始める

実幸が2歳になる頃 今はどこにいるかわかりませんが西別府病院から整肢園に来られていた江田先生が、「お母さん、子どもというものは、大人がどんなに一生懸命に教えても、覚えるのに時間がかかってしまうけど、子どもが子どもに教えると、すぐにおぼえるんですよ。歩けるようになることは無理かもしれないけど社会性を身につけてさせてあげるとよいですよ。」と言ってくれたことで集団保育をさせることが必要と判断しました。 「大山町の保育所に入れてほしい」町の住民課にお願いに行きました。すると「大山町の保育所には設備が整ってない、先生がいない」と言われました。そして一番苦しい思いをした言葉が、「そんな子は大山にはいない」と言われた事でした。それで入園することができませんでした。 それならと、少し離れた市の若宮保育園に委託のお願いに行ったのですが、委託料が高いので考え直すように言われ、一度は諦めようと思いました。 諦めきれず窓口ではなく議員さんや上の方にもう一度お願いすると、すぐに予算を立ててくれました。そして隣の市の若宮保育園入園する事ができました。若宮保育園は設備が整っているわけでもないのですが「実幸さんのためにいいことならなんでもしますよ」とこころよく受け入れてくれました。とても嬉しかったです。設備の問題ではなく「受け入れ側の心の問題だ」と感じました。

保育園ではみんなと同じように接してもらいました。初めの頃は休む事も多く、先生におんぶしてもらうばかりだった実幸が、みんなと同じように手を動かしたり、みんなに負けまいと、一生懸命いざりながら、ついて行ったりしはじめました。階段の上り降りにもみんなについて行こうといざっている姿から、実幸の「生きる力」の強さを、改めて感じ、私ももっと頑張らなければと思いました。 また、周りの子どもたちの「思いやり」、そして何の抵抗もなく実幸の手助けをしてくれる「優しさ」がとても温かくかんじられ、「こんな小さな子どもさえ…」と深く感動したものでした。

私が初めて実幸を車椅子に乗せた時、「こんな小さな子を車椅子に乗せて!ベビーカーに乗せるか、抱っこするかしとけばいいとに!」と言われたことを思い出します。私も、車椅子に実幸を乗せて外に出ることは、勇気がいりました。でも、「実幸が大きくなって、1人で外へ出なければいけない時の方が、もっと勇気がいるだろう、ならば、小さい時から慣れさせておいた方が、抵抗なくみんなの中に入っていけるだろう。」と思ったのです。 また親戚の集まりになると「あんた妊娠中になんか薬飲んだをじゃないと?家の血筋にはそんな病気の人おらんもんね」などと言われおり場のない時もあった事を思い出します

二歳児だけど最初は一歳児と一緒でスタート

一人でパンツも寝転んで上げることができるようになりました。

初めての発表会です。

まみもみんなと一緒に絵の具遊び

いざりでの移動に時間がかかるので 夫がまみ号(板にタイヤ、ハンドルをつけた物です)まみ号での移動で友達についていく

スピードもはやくなりました。

ご飯もみんなと一緒に一人で食べていました。

運動会もまみ号で頑張りました。

歩けない子はまみだけでしたがみんなと一緒にいろんな経験ができた保育園生活でした。

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